QRコード
QRCODE
Information
おてもやんTOP

ログイン

アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 0人
プロフィール
lieghdgy

2021年09月16日

かかっているんで

わたしのブログにも時々登場する、近所に住む、大嫌いな年配女性(姑の長年の知人)に、またバス停留所で出会った。
もう一人、ご近所さんがいたので、彼女の関心はそちらに移り、ほっとしたが。
彼女は不幸話が大好きなので、最近不幸な展開の、そのご近所さんと、話したがったuche傳銷
わたしとも、ちょこちょこ話を振ってくる。
姑の話になり、いつも姑が彼女に送っていた果物、最近は姑も家を出ているから送れないのでしょうね、、、みたいな流れ。
「送るのは一時的なこと、あれを育てるには手間暇がかかり、手入れや肥料などをプロに依頼し、お金もかかっているんです」と、一言、言っておいた。
わたしはとても胸がすっきりした。
彼女は、勝手に生っているものでタダだと思っているフシがある。
前々から、わたしは喉に魚の小骨が突き刺ささっているような気になっていた。

「あら、何か送らないとダメねえ」と彼女はとっさに反応したが、「姑は家に居ないので送っていただいても無駄になります。
自分で欲しいものは、ちゃんと自分で手配して手に入れてますから」と、断っておいた唇彩

もう社交辞令を交わしたり、善人顔をするのはやめた。
近所の人とはトラブルなく良い関係を維持しなくてはいけないが、もうあの人とは、どうなってもいい、と思った。
個人的なつながりを切る、というスタンスを結果的に意思表示してしまった流れだ。
好かれなくてもいい。
嫌われてもいい。
長年の不快な思い、もうそろそろせき止められない。
彼女も歳を取り、仕事もやめ、社会的には明らかに力を失った。
相手が弱ったからといって、ここで態度を変えるのは人格として、いかがなるものか天然維他命C
だが、長年の積み重ねは、本人に跳ね返ってくる。
本来は、労らなければならないところを、ここぞという時に逆転復讐するなんて、ひどい人間だ。
お金や地位や権力に寄ってきた人々も、それらを失った途端、すーっと引いていった、ということはよくある話。
人というものは、そんなものだ。
かえって、人間断捨離でき、余計な人が削ぎ落とされてよい。
が、片思いのごとく、信頼していた人までも去っていかれると?
誰も自分など、本気で相手にしてなかったということ、自分の不徳の致すところ。
自覚できて、夢から醒めて本当の自分がわかって良かったのか、悪かったのか。
出来れば、身体か、脳かが、あの世に行くまで、自分にとって都合の悪い事は知らなかったほうが幸せた。  

Posted by lieghdgy at 11:40Comments(0)

2021年09月16日

が微妙に違ったりして

たまたま、わたしは、娘一家が近くにいる。(たまたま、でもないか)
今は、ジジババは、子育てサポートに、良いように使われてあげている(出た!上から目線)。
いずれは、我々老人サポートと引き換えに労働チャージを、などという保険をかけている気はない。
そんな魂胆は、期待を裏切られたり、サポート温度が微妙に違ったりして、ストレスの元であるthermage
今の子育てサポートも、両世代に、負担がないような方法で行われている。
どちらかに負担がかかると、その負担分を将来、別の形で担保してもらおうと期待してしまう。
それはやめたい。
その場その場でクリアし、持ち越さないようにしたい。都度精算、貸し借りなし。
どうしてもという、平時ではない場合はもちろん、臨機応変に対応するが、平時は、役割分担は淡々と。
必要以上に、もたれかかったり、もたれかかられたりするのは、重い。
極力まで各世代、頑張るが、無理な時にはギアチェンジして、数段パワーアップ互助へシフト。

このように、近くに子供世帯、親世帯が住んでいるかどうかで、その地を離れるか離れないかのキーとなる私處脫毛
親子共々、別の地に移住する、という選択肢もあり、ガチガチに決め込む必要はないと思っている。

が、今のところ、わたしの未来図は、あと20年はこのまま今の地に住み続ける。
孫たちも成人し、この地を離れることもあるだろう。
実家は、次世代にバトンタッチ。
次世代がバトンを受けとらなかったら、処分という方法もあり得る。
我々の目が黒いうちは、そんなことはさせない、と言っても、身体も動かない状態ではいくら、わめいても、実行力がない。
それより、20年後は、老人ホーム探しに余念がないだろう。
気に入った老人ホームがないからと娘宅にお世話になるのは絶対に避けたい脫毛邊間好
と言っても、どうなっているかわからない。
母や祖母たちのように、自立できなくなる日までは自宅で住みたい。
自立できなくなったら、未練を残さず自宅を去りたい、、、が、、、。
今からあと25年あれば、納得して計画通りに行動できるだろうか。
わからないけれど、少なくとも、今日、明日に近々、引っ越すことはありえない。

次の関門は、5年後。
必ずやってくる、難儀なポイント地点。
生々しすぎて、嫌々すぎて、文字にする気が起こらない。
3年後に考えよう。
(嫌なことは、後回し作戦)
時期が近づくと、事前に事態が動くから考えざるを得ないだろう。
それまでは、まったり休憩。
動物園のナマケモノ状態で、何も考えない楽しい時間を過ごそう。
と言いつつ、おしりが何やら落ち着かない。  

Posted by lieghdgy at 11:40Comments(0)