はそれよりマシだと安堵

lieghdgy

2024年03月23日 13:32

バス停での待ち時間。
2人の女性。
「最近、前みたいにチャッチャと物事が出来ないようになった。歳は取りたくないね」と1人の人が嘆いておられる。
先に自分の年齢を明かした女性に対して、さらにその4歳年長だという女性が気を悪くする會計軟件比較
「貴方の歳で、もう歳だからアカン、なんて言ってたら、ワタシなんかどうなるのよ!」
「4歳違うと、この年齢での4歳はえらく違うんよ!!」とムキになる。
昭和14年生まれと、昭和10年生まれ。
84歳と88歳か。
母より少し若い。

うーーん、、、
やはり85歳の坂は、一つの区切りのようだ。
だが、84歳の女性が20歳の時に腎臓?を切り取った話をすると、途端に88歳の女性の声が優しくなった。
その後の病状や、今の状態など、興味深く(同情心を持ちながらとは思うが)聞いていた。
こんなに、ころっと変わるものなのか。

近所の女性にも、こういうタイプがいる。
あの人(共通の知人)、どうしてる?という話題で、健康状態が良好だとわかると、途端に落胆する復古相機
病気や足腰が大変な状態だとわかると、安心するようだ。
他人の不幸は蜜の味。
わたしも、こうなるのだろうか。
心情のシェア、共感ではなく、どうも、自分より辛い状態の人を様子を知り、自分はそれよりマシだと安堵する。
同情するわけではない。気が軽くなるかんじか。
人間としてそれはわかる。
が、胸の中で思うのは全く自由だし、止めることも出来ないが、あからさまに外に出すと、あるいは、無意識に外に出ると、この人、どうなんだろう、、、と思ってしまう。
正直すぎる。
顔はにこやかでも、もっともっと腹黒の人はいるにしても。

喉に痰が詰まったから、道端に吐き捨てるようなものか。
だが、痰が詰まって死ぬほど苦しいのに、吐き出すなと言われても困る。

ところで。
脚本家の山田太一さんが亡くなった。
彼の脚本のTVドラマは観ていた。
車椅子の人に対しての、優しいメッセージが込められていたものもあったようだ。
困っている人は勇気を出して手助けを求め、求められる側は優しく手を差し伸べる。
当時の考え方、迷惑をかける、かけられる、の、新しい提案だったそうだ。
弱者に優しい社会を目指す発信だったとか。

人それぞれの余裕や我慢、許容の範囲、温度差をどう調整するか精靈針 效果
なんだか考えさせられた。

そして、蛇足ではあるが、
お元気な80代後半の人々の会話を聞いていると、
わたしはまだあと20年もある。
母世代の人々を見送ったので、その生を全うする大変さがしみじみわかる。
今度は見送られるのは自分の番だが、まだ20年もあるのかと複雑な心境になっている。